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2013年06月11日

自分中心か世間中心か…軸の置き方と作られた病、ADHD

ADHDとかADDいう「病」をご存じだろか?

ADHDとは、Attention Deficit / Hyperactivity Disorderの略で、

注意欠陥・多動性障害という行動障害として病気とされている。

ADDはADHDから多動(Hyperactivity)がないもの。



特徴としては、

集中力が続かない

注意力散漫

じっとしていられない

計画性がない

片づけられない

時間の感覚がずれている・時間を守れない

感情的・衝動的…

などなどこれらの特徴が7歳以前から現在まで続いていて、生活に支障をきたしていると

みごと「ADHD認定」が受けられるというものである。



最近は、これらの特徴が病気として定義されたために、

啓蒙活動も行われている。

こないだなんかは、本屋の児童書の売り場で

「ADHDってなに?」的な本が売られているのをみつけて驚いたばかりだった。


そして最近は、Web媒体でもこの手の啓もうをしているようだ。

たとえば…こんな動画がある。

一度見てほしい。



ここまで極端ではないにしろ…

この動画に出てくる彼のような傾向って

誰でももっていそうだよな…とも思わないだろうか?

全部とは言わなくとも、

少しぐらいは片鱗がある人が多いんではないだろうか?



これを書いている僕だって、

思い当たることがたくさんある…どころじゃない。

こういう自分をたくさん知っている。


子供のころはしょっちゅう忘れ物をした。

通学路途中まで行って、引き返したことも多々あるし、

教室で気づいて茫然としたことも片手どころじゃない。

大人になってからだってちょくちょく忘れ物をする。

あんまりかわってない



集中力も続かない

自分の好きなことはすごく集中できるが、

あまり興味がないと話も聞けないし、ぼーっとするし、

興味のあることに気持ちが移りやすくなる。

というかそれ以外どうでもよくなるし、

気が進まないことはとことんできない性分だ。



時間も守るのが苦手だ。それは今もそうだ。

人との約束なんて、遅れていくことのほうが多いぐらい。

学生時代は、レポートの提出期限なんて苦痛でしかなかったし、

サラリーマンやってたときなんかも当然そうだった。



期限だとか納期だとか、数値目標だとか…

目の前のタスクが、自分にとってとても難しく、取り組んだことがないことばかりだったので

おのずと壁が大きく感じられた。

ちょうど彼が、履歴書やエントリーシートを書くのを難しく思うように、

おっくうでナンギなことだった。


でも「できない」は許されないことなんだ

みんな会社勤めをしたらやってることなんだと、自分に言い聞かせて頑張ってみたのだ。

頑張っちゃってたので、僕に、上に書いたような特徴があって、

内部でものすごく葛藤していたことが信じられないという人もいるかもしれない。



しかし、実際は、社会に接し始めたころ(子供時代)から、

自分の中では、ものすごい嵐の日々だった。

おまけにやたら自制心とか理性の強い子だったので、

葛藤を無視して、「あーすべき、こーすべき」と方向付けをし、

持ちこたえられなくなると爆発するという、

今思えば、たいへんおバカなことを大人になるまで繰り返していた。



もちろん、僕が幼いころにはADHDという概念もなかったので、

これらの特徴をそのまま受け容れていいと思っていなかった。

主人公の彼のように、自分を責める日々が続く。

頭の中では、自分に対する叱責ばかりだ。


苦痛に思うのは自分が弱いから、社会に適応できていないから、

と、自分への攻撃を繰り返す。


当然、自分の心の中は穏やかではなく、延々闘いが続くことになる。

闘い続けるのは疲れるので、「そんなのいやだ」「苦痛だ」という面は

そのうち、みないようになってくる。

無感覚を装うとでもいうんだろうか。

しかし解決もしていなければ、認めてもいないので、

見ないふりだけであって、お掃除ができていない状態である。

だから、くすぶりながら普段の生活をごまかしごまかし続けることになる。




会社勤めを辞めて、相当生活のスピードが減速した今だから言えることだけど、

僕には、世の中の時間の流れは速すぎると思うし、

そこに自分を合わせようとしたからつらくなってしまったんだろう。

その場にいて、激動の渦の中にいると、

自分が抑え込んでいるものにも、押さえこんでいること自体にも

なかなか気づけないものなのだ。


今だったら、「自分はそういうの苦手だったんだよなー」と振り返ることができる。

それにADHDという見方もあれば、インディゴチルドレンという言葉にも出会い、

その特徴がADHDやADDに似ているので、自分自身納得できるようになってきた。

そりゃ、仕方ないと思えて腑に落ちているので、もう無理を自分に強いるのはやめている。

「自分のペースがある。」

そう言えるので、正直、どんどん楽になっている。



さて、上に貼りつけた動画の最後なんだが、

「ADHDはそういう特徴があって頑張ってる人たちなんだから、理解してあげてね」

っつー〆になっている。


それをみて、僕はちょっと疑問というか違和感を持った。

「なんだか上から目線だなー」と…。

「自分は正常だと思っている人たち」の目線だなーと…。


以前だったら、そこで思考停止して怒っていたと思う。

怒らずに違和感を探ってみる。


その違和感は、二つのことからきていた。

ひとつは、

どこを主軸にしてとらえるか?で正常と異常を決めているということだ。

これは、動画の作り方も、そして僕自身のとらえ方もである。



さきの「理解してあげてね」は、一般的な社会やそれに適応できる人側の目線で、

主軸は「世の中」にある。

「世の中軸」である。

しかし、一般的な時間のスピード感と違う生き方が心地よい人だっているのも事実だ。

動画の彼のように、僕のように、あるいはどっかの知らない誰かもそうかもしれない。


それは、時間だけじゃない。


たとえば、、、食事。

生活する上で三食食べるのが当たり前となっているが、

三度の食事よりも二食や、あるいはごく少量を何回にも分けて食べるほうが

胃腸の調子がいい人だっているはずだ。

日本はその昔二食の文化だったという話もあるし、階層によって違ってもおかしくない。

宮殿の中にいるような貴族は、肉体を激しく使うわけがないのだから、

腹の減り具合は少なめでもおかしくないし、

農民は肉体労働をするから、三度の飯とおやつが必要だとしても不思議はない(食えたかどうかは別として)


睡眠だって、夜寝たほうがいい人と、明るくなってからのほうが眠れる人、

いろいろいたっておかしくない。

これも出生時間がかかわっている可能性があるという記述をどこかで見たことがある

(…気がする程度なので確定要素ではない。ソースを探してみたけど見つからなかった)


だから、軸を「世の中軸」にしておいて、そこからはずれると「異常」だったり

ちょっとかわいそうテイストをつけられてしまうものなのだ。



個人を軸にとらえることができて、これが自分の快適な生活の仕方だということが理解できたら、

「自分軸」を理解しながら生きることができたら、

自分の中の闘いは減るだろう。

今はちょっと休もう、とか、胃腸がくたびれてるから軽い食事にしようとか…

今夜は眠れないから、眠れないなりの過ごし方をしようとか…

自然で無理をしない生き方に移行していけるだろう。




そしてもうひとつ…

あまりにみんな「世の中軸」に合わせすぎて、「自分軸」を無視するあまりに

他に「自分軸」で生きる人を特別視する傾向が強められているのではないかということだ。

そして自分自身のコンディションはさておいて

「世間一般」とか「標準」「世間並み」というくくりから外れない自分で生きようとしているので、

「自分軸」が認めにくいし、

「自分軸」をもってる人を認めにくくなってしまうということだ。

平ったく言うと「いろんなひとがいてあたりまえ」ではないということ。



「世の中軸」で生きることが当然で、

世の中の大多数の人にそれができているようだと思っていると、

「世の中軸」に合わせられない自分の側面を見つけた場合に、

すんなり「自分軸」と「世の中軸」の差を認めることができるだろうか?

自分のペースにあった選択ができるだろうか?

何らかの理由をつけて「世の中軸」への適応を余儀なくすることが多いのではないだろうか?




「世の中軸」に適応できない「自分軸」の存在が自分の中にあると気づいたら

一体どう反応するだろう?


それじゃいけない

それは自分の勝手だ

それは自分が弱いからいけないのだ

それは社会に適応していないから、自分を矯正しないといけない。。。

それができないと、不適応者、落伍者だと思われる

などと、自分を責めることにならないだろうか?


そういう人ばっかりじゃないかもしれないけど、昔の僕はそうだった。

今だって少しはある(まだたくさんあるかもしれないけどw)

かつての僕以外にもそういう人がいないとも言えない。



自分を責めて、自分にとって楽な生き方が認められず選択できないと、

人は緊張状態を作る。

そして、自分に緊張を強いているので、他の人にもそれを要求するようになる。

甘えてんじゃないとかなんとかかんとか…

それじゃ、この社会で生きていけないとか何とかかんとか…


すくなからずそんな構図はないだろうか?


でもそれは本当だろうか?

本当にやってみたことがあるだろか?

自分の胃袋の具合や睡眠の状態や、

自分のペースとかを探ってみたことがあるだろうか?

それに合わせた実践をしてみたことがあるだろうか?


自分のペースは、頭の中だけで見つかるものではない。

実際にやってみて、「あ、このほうが自分にとって楽♪」という気づきがなければわからない。

肉体ってそういうもんだから…

それに、一発でその方法が見つかるとも限らない。

ちゃんと自分の肉体や心に付き合って、

いろいろ試してみて、やっと腑に落ちるものだと思う。



そんな試行錯誤をしながら、自分軸が素直に受け入れられて、

快適でやりやすい方法を見つけることができれば、

100%とは言わないまでも、徐々に実践していけば、

もちょっと自分を赦すことができて、

自分の中の独自性を認めることにつながるんじゃないかなーとおもうわけだ?


自分がオリジナルな存在だということが分かれば、

他者も同じくオリジナリティがあって、いろんな側面で多様性を受け容れ易くならないかなと思うわけだ。


逆にみんながみんな、自分を「世間並みであること」の縛りを優先し続けていれば

多様性は認めにくくなるということでもある。



この動画は、

一見優しそうだけど、「あなたはあなたでいいんですよ」という話ではないのだ。


これは「病気」と定義づけられているから、

当事者は大変だから支援してあげてくださいね、理解してあげてくださいねだし

最終的に、本人には「精神科にかかって、投薬治療を受けなさい」とかいう雰囲気を醸している。

そしておそらく、「世の中軸に合わせなさい」がオチなんだろうとみることができる。




しかし

しかしだ、まだ続くんだこの話は。

実は、最近このADHDという「病」は、作られた病であることが報じられている。

ADHDは作られた病であることを「ADHDの父」が死ぬ前に認める


『「ADHDの父」と呼ばれるレオン・アイゼンバーグ氏は亡くなる7カ月前のインタビューで

「ADHDは作られた病気の典型的な例である」とドイツのDer Spiegel誌に対してコメントしました。』とある。


ADHDに投薬される「リタリン」という薬に代表されるメチルフェニデートという薬剤は、

アイゼンバーグ氏がADHDの特徴を病気と定義したのち飛躍的にその投薬量が増えているというのだ。

1993年から2011年までの間に約50倍の売れ行きになったという。

(注:日本ではADHDに対して投薬されていない。別の薬剤があるようだ)



病気という定義ができると治療ができる。

誰にでもありがちな特徴を「病気」として宣伝すれば、当事者や親や教育者、それに医師もそれに乗っかりやすくなる。

そうすると処方薬が売れる…


「特徴」=「症状」にしてしまえば、医療ビジネスができるわけだ。

すべてがそうだとは言わないが、こういう側面が多分にあるということは覚えておいたほうがいいだろう。

世の中の経済活動は、そのようにして肥大してきたのだ。


以下リンク先からの引用だが…

『DSM-IVのアレン・フランセス編纂委員長も、DSM-IV発表以降、

米国で注意欠陥障害が3倍に増加したことについて、

「注意欠陥障害は過小評価されていると小児科医、小児精神科医、保護者、教師たちに思い込ませた製薬会社の力と、

それまでは正常と考えられていた多くの子どもが注意欠陥障害と診断されたことによるものです」と指摘。

「米国では、一般的な個性であって病気と見なすべきではない子どもたちが、やたらに過剰診断され、

過剰な薬物治療を受けているのです」と述べています。』



収穫するには、種まきが必要なのだ。




たしかに、病気という定義付け…というか特徴をはっきりさせて「概念化」することによって救われることもある

しかし、それを病気ととらえるか個性ととらえるかによって

対処の仕方もその後の生き方も、さらには社会の在り方も変わるのではないだろうか?



  


Posted by maktub_J at 08:52Comments(0)つれづれ

2013年01月07日

結局は自分の鏡…であるのだな

秋口からこっち、昔していた仕事の手伝いをしている。

業務自体ではなく、一部分だけを補助的に手伝うことになり

今に至っている。


【注】

今日書いている話は、あくまでも僕自身の、自分自身の内面のストーリーだ。

自分を取り巻く世界は、結局は自分の鏡なのだということを、

痛切に感じたのだ。

だから、書いている。

決して、仕事や職場を非難するとかそういう意味合いではないということを

ご承知おきいただきたい。

【以上】


その仕事、

最初は、楽しく始まったのだが、徐々に違和感が増していった。

いや、違和感は多少なりともわりと最初から感じていたのだ。

しかし、自分の役割を全うすることに集中して、

「見て見ぬふり」をしていたのだ。


当然、日に日にその違和感は増していった。

ある時から、他の要因も相まって、非常につらくなってきていた。



今日、今後の仕事についての面談をすることになり、

応接室で待機していた時のこと

隣室から、新規入社の人の手続きの様子が聞こえてきた。

業務上の守秘義務だとか、勤怠の話とか、

お仕事を始める際にする諸注意事項の類だ。


黙って聞いているうちに、

ものすごく胸糞悪くなってきた。


あらためて言うけど、

これはだれかを非難するためのものじゃない。

その話をしていた人は、単にまじめに自分の仕事を全うしていただけなのだ。

それに雇用契約時にいろんな約束事をするのも必要に応じて行われている(と思うが…)。

だから、誤解しないでほしい。


胸糞悪くなったのは、


僕自身が、本来はいろんな縛りをうけることが本っ当に大っ嫌いな人なので

その内容が自分には受け入れきれないと思ったせい

(昔は、その感覚は押さえこんでいた。社会に適応するには仕方ないのだ・・・と)


そして、そんな僕が、かつては雇用契約書を差し出す側にいて、

ああしなさいこうしなさいという立場にいたのを思い出したこと


実際にそういう立場にありながら、

そういう指図めいたものに違和感を持っていたことを思い出したこと


そして、

その違和感を押しこめて、仕事だから仕方ないと、

いつのまにか麻痺させていた自分を思い出したこと



それはそれは、ものすごい胸糞の悪さだった

インナーチャイルド暴れまくりだった



僕がやっていた仕事(業務内容)自体は、嫌いじゃなかったし、

その仕事内容はどこででも役に立つ仕事だと思う。

だから、ちゃんと身につければ、キャリアアップにも役立つと思うし、

プライベートでも創造的に活用できるものだと思っている。

それは、今も昔も変わらず思っている。


しかし、創造的にできる仕事だからこそ、

働いてくれる人に、何か一つでもつかんでもらえたらと心から願いながら

仕事をしていた。


でも数字に追われたり、日々のタスクに追いまくられる中で

僕はどんどん疲弊して思考停止していったのだ。


鬱にもなって医者にかかりながら、

それでも仕事を続けていた時期もあった。


今思えば馬鹿げた話だが、当時は必死だったのだ。



…とまあ、そんなことを一瞬で思い出したわけだ。

そりゃあ胸糞悪いことこの上ないのは当たり前だ。


それを感じた次の瞬間に思ったのは

「あー、俺って自分が好きじゃないことずいぶん頑張っちゃったんだな

やりたくない流儀で仕事をしちゃったことを赦せてなかったんだな」

ということだった。


自分には、うそはつけない。

でも、しらばっくれることは、できなくはない。


数年前、しらばっくれ続けてきた自分と、今日あらためて遭遇したのだ。

そしたら、胸のつかえがとれた。

昔の自分を赦そうと思えた。



…そして、今日の面談で、

今回の仕事が、あとちょっとで終わることが決まった。



結局は、この世で起きることは

自分の内面の鏡なんだなと、あらためて納得した。
  


Posted by maktub_J at 23:03Comments(0)つれづれ

2012年12月03日

スローに食らふ…

最近、食の安全性なんぞにあらためて目を向けている。

もちろん他のこともいろいろと…

きっかけはTPPだとか、この世の中の…

とくにコマーシャリズムに操作されてるもろもろの情報なんかだったりする



食ってのは、僕らの生活というか身体を維持することに密接にかかわってる。

食わなきゃへばるし、食いすぎりゃ肥える…


ことに人間の食ときたら、

ただ栄養を摂取するだけでなく、味や見た目、香りなど

五感をフルに使って楽しむことができるひとつの文化にもなっている。


その楽しくも美しい食は、いろんなものに脅かされている

農薬、食品添加物、遺伝子組み換え作物、放射能…


そして

安全なものは高価で、安全性の低いものはおおむね廉価だというのも考え物だ…

もちろんそうばかりではないけれど…



食べ物に関するあれやこれやに思いを巡らせる今日この頃だけど、

今日は「食べる」ということに集中してみた。



今夜の晩飯は、米(5分突き米)と納豆、油揚げとわかめの味噌汁…

超和風の豆豆しい食事 質素~


ネットラジオを流しながら飯の準備をして、

「さて…と…、いただきます」と味噌汁をひと啜り、飯を一口…


飯を咀嚼しているときに、ふと思い立ってネットラジオを消してみた。


しんとした食卓で、

自分が顎を動かして飯を噛む音に耳を傾け、

舌が噛み砕かれていく米粒を攪拌する。

米粒はだんだん甘みを増していく。


ただ淡々と咀嚼を続けていく。

いつもよりもたくさん噛み続ける。

米や納豆は粥状になっていく。



もちろんその間に、顎は動き続け、

舌ももちつきの合いの手よろしく絶妙のコンビネーションで動き続ける。

喉で飲みこみ、食道は消化工場へのベルトコンベアの役を果たす。

箸を運ぶ手指だって動いている。

足は胡坐をかいて、腰と一緒に身体を支え続けている。


ただ「食べる」と言っても、いちどきにたくさんのことをしているものだと思う。


人間てのはつくづく「マルチタスク」だなと思う。



それを、普段は食いながら何かを目で追ったり、

人としゃべったり、何か聞いたり、もの思ったりと

わざとせわしない状態にもってって、

それがさもあたりまえのように過ごしてしまう。


もっと「マルチタスク」ができると言わんばかりだ。

それが合理的で効率的っぽいとかね…



そうなると、なんだか「食べる」ことがついでごとのような…

「食べる」ことなんかに貴重な時間を割いていられないとでも言うような…

そんなだと、なんだか燃料を身体に放り込んでるみたいだな…などと思った。



時折感慨にふけりつつ、やはりゆっくりと食事を進めていく。


いつもより穏やかに膨れていく腹具合を感じていると

「これでいいよね」と身体が言ったような気がした。

「ふむ」と思って、心静かに、まだゆっくりと味わいながら食っていると、

「これがいいよね」と心が言った気がした。


なんだか、今夜の晩飯は、ちょっと瞑想みたいな食事だった。
  


Posted by maktub_J at 23:58Comments(0)つれづれ

2012年09月02日

セッションルームの営業時間について

9月から、Healing Space Maktub の営業時間が一部変更になります。

ええ、はい、まぁ、、、急な話なんですけどね…。

実は、前の職場からヘルプ要請がありまして、

しばらくの間、助っ人に行くことになったんでございます。



ということで、以下の時間帯で営業いたします。


  平日(月・火・金)  午後 4時30分~午後 9時

  土曜日        午前11時~午後8時

  第2・4日曜日    午前11時~午後 6時

   ※ 完全予約制ですが、空き枠があれば当日予約可能です。


また、定休日を以下の通り変更いたします。

  定休日  毎週水・木曜日  第2・4日曜日

   ※該当曜日にセッションご希望の場合はご相談ください。



空き状況は、当店Webサイトのカレンダーで確認いただくことができます。 

セッションをご希望の方は、

前日までのご予約は、電話かWebフォームから…

当日のご予約・お問い合わせは電話 080-4310-9620 へお願いいたします。


しばらく変則的な営業時間となりますが、

ご理解のほど、よろしくお願いいたします。 <(__)>  


Posted by maktub_J at 17:54Comments(0)お知らせ

2012年08月17日

恐怖に身をまかせて…

ちょっと調べ物のついでにリンクを見つけたので、

手塚治虫のオフィシャルサイトに行ってみたら、

ブッダのコンテンツがあった。



手塚治虫のブッダ、もう何年前だろう、

むさぼり読んだ気がする。

何回も何回も…。

その割には忘れてるけどねw



僕の出身大学は仏教系だったので、

原始仏教の時間もあったから、お釈迦さまには昔からご縁があったし、

最近は、アセンデッドマスター・ブッダとのご縁がさらに濃くなってもいる。


そんな矢先にこんなコンテンツを見つけてしまったので、

「これはこれは…」と素直にのぞきに行ってみた。



Message form ブッダ

手塚治虫が12年かけて描き続けた「ブッダ」という漫画の中から、

心に響く言葉や、エピソードをピックアップしたもので、

クリックをしていくと、漫画と解説が紙芝居のように進んでいくものだ。


その中に、「恐怖に身をまかせて」というのがあった。

(上の「Message from ブッダ」のリンクページを表示させたら、

 たぶん「ササジャータカ」というタイトルが出てくると思う…2012年8月17日現在ね。

 その下に、クリックしてコンテンツを選べるバナーがあって、

 バックナンバーの1に「恐怖に身をまかせて」というタイトルがあるです(下図参照))


著作権上やばいかも知んないから削除するかも?でもぼかしてあるので大目に見てくれると嬉しいな・・・とかなんとか、、、ブッダゆるしてねw

著作権上やばいかも知んないから削除するかも?
でもぼかしてあるので大目に見てくれると嬉しいな・・・とかなんとか、、、ブッダ&手塚せんせーゆるしてねw



内容としては、

ブッダがした説教を曲解して恨んだ人間が、ブッダを殺そうとしているのに、

ブッダは普段通り説教に出かけようとしているというシーン。

弟子が「あなたは怖くないのか?」と必死に止めるが、ブッダは、

「恐ろしい…だがそれをどう避けるのだ?

 今日恐ろしさをごまかせても、あしたまた恐怖がやってくるかもしれない。

 むしろ恐怖に身をまかせて、その中に安らぎを見つけるのだ」

という。



ブッダは「悟った人」である。

しかし、感情がなくなったというわけではない。

むしろ敏感に自分の心の波を感じ取っていたはずだ…。


しかし、その心の波の正体を知っているから、

対処するすべを持っている…ということなのだ。

いうなれば「生きる心の取説(トリセツ)」とでも言ったらいいのかな。



「なんか悟っちゃったら人生おもしろくなさそう…」

そういうイメージがあると思うけど

「悟る」というのは、「覚醒している(イっちゃってるわけじゃなくてね…)」とか

「(幻想から)目覚めている」ということであって、

何があっても何も感じない鈍感な状態とは異なる。



怖いもんは怖い

不安なもんは不安だ

それから逃れようとすると余計ドツボにはまる。

それこそエゴの思うつぼあかんべー


そのなかで、その感情から逃げずに、真正面から受け止めたらいいということである。

感じきること、浸りきること…


恐怖や不安ていうのは、知らず知らずのうちにその渦に巻き込んで、

そのうえさらに無力感や怒りという形に変えてくれたりするものだ。


その時、人は、人の心は、台風の暴風域だとか鳴門海峡のうずうずの中で、

「わーーーーーーー」と両手をあげて翻弄されている状態といってもいいだろう。


ただその渦のど真ん中に入っていくと、

「あれ?こんなに静かだったっけ?」と思うぐらいの静寂があったりする。

台風の目なんかも、周りは突風や豪雨が暴れたりしてるけど、

目に入っちゃうと静かだったりするもんだ。



核心に入らずに「わーーーー」ってやるのもありだけど、

「なんかあるはずな・・・く、苦しいけど探求してみよう・・・」

なんて、ちょっとした勇気をもって、自分の心を覗いて、

感じ切ってみると、意外とその苦しみから距離を置いて冷静になれたりする。



こないだかいた「ザ・ワーク」は、まさにそのためのツール。

感じ切ること、どっぷりつかってみることを助けてくれる。

そして台風の目の中に連れてってくれて、

吹き荒れてる風や雨を眺めたりすることができるようになる。

「あーー、こんなかにいたのね」…みたいな…



人間だもの、怖いとか不安に思うのは当然。

うれしいのも幸せな感じがするのと一緒で、

心が波打つのは当たり前。


だから、そっから逃げずに、

ちょっと怖くても真正面から受け止めてみよう。


思ってもみなかった平和と対面するかもしんないのだ晴れ




久々の手塚治虫のブッダとの再会

懐かしくも、以前よりももっと濃い出会いニコニコ  


Posted by maktub_J at 13:55Comments(5)つれづれ

2012年08月11日

エゴってやつとのお付き合いのしかた

いろんなシチュエーションで、

どうしようもなくイライラしたり、不安になったり、もやもやしたりすることがある。

たとえば人間関係

たとえば自分のからだやこころのこと

たとえば生活上の不便…


そんなときは、ほぼ間違いなく自分の中に原因がある。


だいたいが、

「こうあるべき」っていう理想とか、

「これが正しい」っていう判断だったりとか…

現実に起こっていることを無視して、

自分のアタマがつくった物語が目の前で展開されていないことに

腹を立てたり、焦ったりしていることが多い・・・というかほぼソレしかない。


思考は、そんなストーリーをアタマのなかで声高にしゃべり続ける。


そうすると、アタマの中は自分を追い詰める言葉でいっぱいになる。

あるいは、人を非難する言葉でいっぱいになることもある。

そして、ものすごく落ち着かない気分になり、

何かしないではいられなくなってしまう。


実際に、人に文句を言ってみたり、自分を責めて自己嫌悪に陥ってみたりする。


ものすごい不安に陥った時、

その不安やアタマの中の言葉を発するモノを見据えて言ってみるんだ。

「あー、こりゃエゴの断末魔の叫びだな」

そうすると、意外なほど心の中が「しーーーーーーーん」となる。



エゴが、「わ、やべ、見つかったびっくり!」とびっくりしてその動きを止めるから…。


エゴってやつは、人の無意識な思考に住み着いて、ものすごく大暴れするんだけど、

実はすごく怖がりで臆病なところがある。


何を怖がってるかというと、

餌がもらえなくなったり、自分が「ぽい」されるのを怖がっている。

餌っていうのは、僕らの焦りや怒り、弱気、不安、、、などなど、

本来の僕らの姿からかけ離れた姿が、やつらの格好の栄養分になるってわけだ。



でも、やつはすきを突いていくらでもやってくる。

宿主(人間)の調子がいい時は、いっしょに有頂天になったりするお調子者でもある。

だから、宿主もエゴにあおられて無意識のうちに踊らされて、

宿主はまた落ち込まされたり、焦ったりさせられる。

(エゴのやりくちは無意識に入り込む狡猾な手口だったりする。

 そのへんがなんともやっかいなのだ)



だからと言って、エゴちゃんを押さえつけようとすると、

これまたやつは抵抗する。大暴れする。



でもね、やつにも言い分があるのだ。

闘ったり、抑制したり、無視したりすると

「こっちむいて」攻撃が始まるというわけ。

よく体のうずきとか痛みを伴っていることがある。

胃が締め付けられるような感覚や腰の痛みなんかがそれだ。


だから動揺せずに、闘おうとせずに、

身体の反応を見ながら静かに聞いてみる。

「どうした?おまえいつもそうだよな。

 暴れてる時は言いたいことあるんだよね?」

そうすると、これまた意外と素直にエゴは語りだす。

言いたいことが終わると、すーーーっと身体の感覚がおさまって、

こころもすーーーっと開いて、ゆったりしてくる。





瞑想しながら聞くといいんだけど、瞑想していられないぐらいもやもやする時がある。

そんなときに、とっておきの秘密兵器を教えてもらった。(感謝!)


「ザ・ワーク」という本だ。

すごくシンプルな質問をすることで、自分の心の中を探索していき、

自分が作り上げたストーリ(妄想・幻想)を白日のもとに晒して、

「な~んだ(笑)」と、いとも簡単に手放せるようにしてくれる。



本も出ているし、サイトもある。




ザ・ワーク 人生を変える4つの質問

バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル (著),

サイトはこちら→ バイロン・ケイティ ワーク 日本語サイト 


サイトには、実際のワークに使用できるワークシートとかんたんなガイダンスがPDFで

ダウンロードできるようになっている。



僕は、書籍とPDFのシート&ガイダンスを使っている。

とてもシンプルだけど画期的な方法だ。


最初は、本を見ながら、ワークシートを使いながら

よちよち歩きで始めるといいと思う。

使い慣れてくると、どんどん早く手放しが起きるので、楽しい!




もやもやがきつーーーく出てくるとき、、、

それも「ええーもう無理~(泣)!うわーん」なんてときは、

実は、エゴも相当焦っている時だ。

臆病で、もうじき「ぽい」されそうな危機感を持っているので、あせりMAXな状態。

だから、「断末魔の叫び」をあげるのだ。



そんなときは、チャンスなんだから落ち着こう。

落ち着いて、瞑想をしながら、あるいはワーク(ケイティ曰く「書く瞑想」)をしながら、

その中に隠されたメッセージを受け取ろう。


必ず解放が待っている。ニコニコ  


Posted by maktub_J at 17:46Comments(2)つれづれ

2012年06月06日

6月19日も…丘の上にいきますよ

先週の火曜日、5月29日に

読谷村の丘の上の料理工房SARAさんにて

おでかけセッションをさせていただきましたところ。。。

たくさんの方にクラニオセイクラルワーク with レイキヒーリングを

体験いただくことができました!

本当にありがとうございますニコニコ


好評につき、第二弾!決定いたしました!!アップアップアップ


当日は、スタンバイをしたあと、すごく風が強くて、

「こーりゃセッションしてらんねーかもなー…」などと思い、

風に吹かれながら目の間に広がる絶景を楽しみつつ

うまいSARAデリでも楽しむつもりでおりましたよヒミツ


ところがところが、

しばらくしてからセッションご希望の最初の方がいらしてから

次から次へとセッションを受けてくださる方が!ベー

急な決定にもかかわらずSARAの陵々さんが、

しっかり告知&当日のご案内をしてくださったおかげですーおすまし

陵々さん、本当にありがとうございます。感謝!!晴れ



みなさん、強風にもかかわらず

毛布にくるまって、しばしのリラックスタイムを堪能していただけたご様子でした。


セッションを受けてくださった方ありがとうございました。ニコニコ


だいたい20分ほどのショートセッションだったのですが、

腰痛のある方や頭痛が取れなかった方も

みなさんすっきりした顔でお帰りいただけました。ニコニコ


本当に、そーっとそーっと施術していくので、

まったく痛みもなくまどろんでしまうぐらい気持ちがいいのです眠っzzz

みなさんおっしゃるのが、

ふわふわと水や空に浮いているような感じ曇り…というご感想。


マッサージベッドに横になり、頭を手で包み込まれると、

普段感じている緊張から解き放たれて、

ふっと力が抜け、頭から考え事が消えていきますひよこ


考え事がとまり、リラックスして今にとどまることで、

ご自身の中の潜在的な力(治癒力)が出やすくなっているのではないかと思っています。

 考え事や心配事は、心を過去か未来に連れ去ってしまいます。

 今にとどまるとき、人は心配事が消え去り頭が空っぽになって、「ただある」状態になり、

 リラックスした状態・ただ存在している自分を受け止め感じることができます。

 またリラックスしている時ほど人間は自分の力を十分に引き出すことができることを

 普段の生活で感じたり、第一線のアスリートたちの話からも聞いたことがあるかもしれませんねおすまし

 逆に緊張していると、存分に能力を発揮できないことを皆さんも経験しているでしょう。


 それだけ、緊張や思考は、感じることや心を開いてリラックスすることを邪魔してしまうのです。

 アスリートたちが、あるいはビジネスマンたちがリラックスを大事にするのは、

 最高のパフォーマンスができるよう自分の潜在的な能力を最大限に発揮するためなのです



また、僕のセッションでは、

西洋式臼井レイキとクンダリーニレイキを流しながらクラニオセッションをしています。


  レイキとは、大正時代に日本で始まった代替療法で、

  施術者の手を通じて宇宙の根源的な 生命エネルギーを受け手に伝え、

  肉体やオーラ・チャクラの活性化、 潜在意識の浄化を行うヒーリング技法です。

  (レイキという言葉自体がエネルギーそのものを示したり、ヒーリング方法をさしたりします)

  海外では、医療保険適用対象になったり先進医療に使われているのです。

  レイキは単なる代替療法の域にとどまらず、心に平和と調和をもたらします。

  その恩恵をあらゆるシーンで僕もたくさん受け取っています



そのレイキヒーリングの力も合わさって、

いまここに存在している状態になり、心をOPENにでき、

受けてくださった方ご自身の体や心が持っている本来の力、

自己治癒力を引き出すことが可能になります。

結局自分を治すのは自分なのです(つまり僕らセラピストやヒーラーは、ちょっとした案内役なんですね)

だからセッションが終わった時のみなさんの表情は生き生きしているのでしょうニコニコ

元気よく「ただいまー」って帰ってきたような顔って言ったらいいのかなおすまし

そんなとき、僕はとてもうれしくなります。


そんな具合で…

夕方までほぼノンストップでセッションさせていただいたため

中にはお時間の都合で受けるのを断念された方もいらっしゃいました。ガ-ン

ごめんなさい!!うわーん


で、次回やるときは受けたいというリクエストをお店にいただいていたみたいで、

6月19日(火) Maktub in 丘の上の料理工房SARA vol2を開催します!

で、早速フライヤー作ったので、のっけときますね


6/19SARAセッションフライヤー

※画像をクリックするとPDFファイルがダウンロードできます


今回はご予約優先となります。

セッションご希望の方は、Maktubにご連絡ください。

Phone 080-4310-9620 

e-mail info☆mak-tub.com まで(☆を@に変えてください)


できればご予約は

きっちりきっちりした時間でなく、大体何時台希望…ぐらいの

ゆるーい感じでお願いします。


SARAさんでももしかしたら受け付けてくれるのかな??陵々さん?

一応連携取りながら調整していきますので、

ぜひご予約ください

※すでに、SARAさんで、数件晴れご予約を承っています!

  早めのご予約が確実かと思われますので、

  行ってみたい受けてみたいと思われ方は、ぜひご予約くださいねニコニコ


ランチタイムのおいしいデリと

絶景キラキラ 丘の上のリラックスタイムをぜひご堪能ください。

6月19日は、読谷の丘の上でお待ちしております。



Maktub in 丘の上の料理工房SARA vol.2

6月19日(火) 午前11時30分~午後6時ごろ

※雨天・強風の場合は、セッションを中止することがございます。

 予めご了承ください。


丘の上の料理工房SARA Shop information

読谷村字長浜1189-3 コーラルビューザンパ1F
  (読谷バスターミナルより1分)

OPEN 火~木・日11:30~19:00   

     金・土 11:30~21:00(夜CAFE19:00から)

CLOSE 月


BLOG http://okanouesara.ti-da.net/

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Posted by maktub_J at 15:17Comments(2)お知らせ

2012年05月27日

5月29日は、丘の上のMaktub♪

こんにちはニコニコ

お知らせです。

5月29日(火)のMaktubは、那覇市を飛び出しまして、

読谷村の「丘の上の料理工房 SARA」さんにて、

出張セッションを行います。


※お天気により中止の可能性がございます…が、今んとこお天気よさそう晴れ


5月のイベント『HAND』以来、

なにかと仲良くさせていただいているSARAさん


とても素敵なお店で、この前も超長居ガ-ン

こんなところでクラニオセッションしたら

めっちゃ気持ちいいだろうな~♪と思っていて、

今回、出張セッションさせていただくことになりました。ニコニコ

フライヤーつくってみました^^

なんちゃってフライヤー♪

↑画像をクリックするとPDF版がダウンロードできたりしちゃいますw


セッションのメニューは

「クラニオセイクラルワーク(頭蓋仙骨療法)」と「耳つぼリフトアップキラキラ 


SARAさんのテラスでクラニオセイクラル…

超気持ちいい晴れはずです!

だって、こんな景色ベーが広がってるわけで…

丘の上の料理工房Sara テラス席からの風景

こんなところで、ゆったりと横になって、

ソフトなソフトな頭蓋骨の調整ラブ


ただでさえ、眠ってしまうほどの気持ちよさのクラニオですが、

自然に囲まれ、海を感じながらだと、

より一層リラックスできること間違いなし!ですよニコニコ


クラニオセッションのお時間と料金は

☆ おためしコース

      20分  ¥1500

☆ レギュラーコース

      30分  ¥2500 (通常より ¥500 OFF)

      45分  ¥4000 (通常より ¥500 OFF)

      60分  ¥5000 (通常より ¥1000 OFF)



SARAさんのおいしいおいしいランチタイム&ティータイムを過ごしつつ、

リラックスタイムを過ごしてみてはいかがですか?



Maktub in 丘の上の料理工房SARA

 午前11時30分 ~ 午後6時ごろまで

ぜひお越しくださいニコニコ


丘の上の料理工房SARA Shop information

読谷村字長浜1189-3 コーラルビューザンパ1F
(読谷バスターミナルより1分)

OPEN 火~木・日11:30~19:00
    金・土 11:30~21:00(夜CAFE19:00から)
CLOSE 月

BLOG http://okanouesara.ti-da.net/

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Posted by maktub_J at 13:11Comments(0)お知らせ

2012年05月18日

試行錯誤と丘の上のひと時

昨日は、朝から読谷村に足をのばし、

FMよみたんで朝10時から放送の

Soyamaxの試行錯誤に出してもらった。ニコニコ


前のエントリーで書いたとおり、

テーマは『性同一性障害』についてどした。


1時間だから「結構長いのかな、、、ネタが尽きたらどうしよう?」などと心配…

するわけもなく、9時半の集合時間に間に合うように車を走らせる。。。


しかし、しかしです。。。

ここんとこ朝のラッシュ時間に車を走らせてなかったおいら

雨の那覇市内を脱出するのに往生こいて

15分ほど遅刻 わーーーーーーガ-ン


パーソナリティの曽山さんとは初対面!!!

打ち合わせの時間もろくすっぽ取れないよーーー  ガクガクブルブル(((((゜Д゜;

…と思うわけもなく

なんくるないさとFMよみたんに飛び込む


曽山さん(以下Soyamax)は、遅刻ブッこいたこんなアチキを

あったかい笑顔で迎えてくれた

あんたいい人だ!



そそくさと自己紹介をして、あっという間にON AIR時間

スタジオに入り、早速本番♪


Soyamaxがいい感じに進めてくれて

こっちも緊張せずにしれーっと楽しく番組は進みました。


途中、自称「やっけーしーじゃー」(…といいながらやっけーなところは見たことない)の

フク兄さんが、都屋漁港のあちこーこーてんぷらを差し入れてくれて

テンションが上がったーーーアップアップアップ

この兄さん、これまたイイ感じにちょい悪な雰囲気とお茶目なキャラが見え隠れする

優しくあったかいハートのイイ男である。ラブ

僕には何人か、いいなーとおもうイイ男の先輩たちがいるが、その一人だ。

いつもありがとうございます<(__)>

そんな、やっけーじーじゃーことフク兄さんもちょこっと映っている放送の様子はこちらw




放送が終わってから、しーじゃーの愛~てんぷら~を頬張りつつ、

SoyamaxとFMよみたんの知花さん・比嘉さんと談笑w


共通の知人…恩納村商工会の金城さんのはなし(なんちゃんくしゃみしてたかも?)などなどとか

うちのセラピーについての説明とかしながら、しばし一休み



そのあとSoyamaxと丘の上の料理工房Saraへ…


絶景のテラス席で風に吹かれながら、

SoyamaxとSaraマダムの陵々と一緒に

公共の電波には乗せられないような性同一性障害のコアな話(ただの猥談?)や

Soyamaxのかつての闘病生活について話していた。


その後、さらに室内に戻り、

陵々・Takeho・比嘉さん・知念さんのまかないの席にまで同席!


いったい何時間居座る気だ?俺ら?ヒミツ


結局4時間以上Saraに滞在し重い腰を上げる

(じつはシェフに手相まで見てもらったw今度ゆっくり見てもらお♪)


那覇に移動して、Soyamaxからクラニオセッションのご依頼をいただき

ありがたく頭蓋骨をいじらせていただきましたピース


SoyamaxはそのあとFMとよみへ移動

僕は東京からやってきたクラニオ仲間に再会ニコニコ

その後、3月放送だったムーブの打ち上げの席に行き、

山本元アナとカメラマンの當銘さん(この人もかっけー仕事人!)、音声の名嘉山君と一献カクテル



楽しく過ごした一日でございました

  


Posted by maktub_J at 20:11Comments(2)日記

2012年05月16日

ラジオ出ます

急なんですが…

明日、5月17日(木)の午前10時から

無差別料理研究家soyamaxさんの

「試行錯誤」という番組に出ることになりました。


soyamaxさんのブログ

無差別料理研究家soyamaxの試行錯誤

「ゲストは性同一性障害の方」と書かれているが、

正しくは「性同一性障害だった方」なんだども…

まあ、こまけぇこたいいやあかんべー



テーマは性同一性障害の話になるらしい・・・

ちうか、その内容で話せと、当事者団体の代表から依頼を受けているので

そういうことなんだろうヒミツ


打ち合わせとか特に何もしていないので

何が出るかはお楽しみあかんべー


番組へのメッセージはこちらへ

fm786☆fmyomitan.co.jp  ←☆を@に変えてください

件名に『試行錯誤』と入れてメッセージをお寄せください。



もしかしたらUstreamで流れるのかな?


FMよみたんのURLはこちら

http://www.fmyomitan.co.jp/


では、明日の朝10時にピース  


Posted by maktub_J at 12:30Comments(0)お知らせ

2012年05月16日

HAND ちょびっと振り返り

先日行われた初の主催イベント『HAND~テヲツナゴウ~』は

盛況のうちに終わりましたニコニコ

出店・ライブ参加いただいた方々、

広告でご協力いただいた方々、

ボランティアスタッフとして活動してくれたみなさん

そしてご来場いただいた皆様

ほんとうにありがとうございました。

何より、一緒にこのイベントを一緒に作り上げてくれた

HALとなつきーと沖縄でゆきおに感謝です!



本当に、縁でつながった不思議なイベントでした。

イベントを主催するってのはこういうものなのかな・・・?ヒミツ


このイベントの趣旨や方向性なんかを出店していただきたい方に

お話しすると、そのあとから出店者を紹介してもらえたり…

紹介された方も、ぜひ参加したいとおっしゃってくださったり…


最初は超がつくほどこじんまりしたイベントの予定だったのが、

予定していた5倍ほどの規模になってしまったびっくり!

出店・参加いただいたみなさんの一覧


ボランティアの食事補助や当日配布するパンフを作るための資金が必要になったため

急きょ広告取りを始めたら、

思っていた以上に協賛いただけるお店や企業が出てきたり…


直感的に、「ここにお願いしたい」と思った企業さんに

飛び込みでお願いしたら、

すぐにお返事を頂いたばかりか、出店までしてくださったおすまし


GW直前の27日から5/3までに10社の協賛と1件の寄付を頂いた。びっくり!

協賛いただいた企業・店舗様の一覧


なんせ初めてのことなんで

俺もHALも手探りで、

とりあえずあれやってこれやってなんて…

てんやわんやしながら動いていた。


連絡が遅くなったり、途中ご迷惑をかけることもありはしたが、

なんとか当日にこぎつけた晴れ



イベント前日キリ学の体育館で机のセッティングをしたらしたで

スペースは、予想していた以上のジャストサイズでこれまたびっくりびっくり!


すべてが仕組まれたような…

パズルのピースのようにうまくはまっていく感じ。。。ってんだろうか?

すごいなぁと、感心することが多い準備段階だったキラキラ 


当日も、たくさんの方が来場くださって、

のんびりまったりとした時間が流れていた…ようだ…


…ようだ…というのも、

出店していたクラニオのセッションにたくさんの方が来てくださったり

アロマハンドマッサージのワークショップをやったりと

ホスト役をHALやなつきに任せていたからだ…(^^ゞぽりぽり

だってセッション楽しいからさ~(^^ゞすんません





ステージの心地よい音楽を聞きながら、ここちよくセッションさせてもらいました

とくに、NAOTO vavaさんのタブラの音に

かーなーり!癒されました。


普段あまり音楽に浸る習慣がないんだけど、かなりキテマス


当日の様子を琉球の島の中尾さんが撮影したものがYoutubeにUpされてます。



来週のライブにもお邪魔する予定ピース

ステージは

ケントミ&くくるバンド、そして小さな歌姫あやなーも


ベリーダンスサークルのLa vien roseさんも


盛り上げてくださいました!


ベリーダンスサークルのLa vien roseさんは、ワークショップもおおにぎわいでした^^

(写真なくてごめんなさい)

Foodブースは、おいしいものいっぱいで、盛況。



こどもたちは、ちぎり絵でお母さんへのプレゼントを・・・







ヒーリングブースもこんなかんじニコニコ


THE BODY SHOPさんのハンドマッサージ無料体験

ローズの香りでラブ





リラックス整体のtamayuraさん





などなど。。。(写真撮りきれてなくてごめんうわーん



ハンドマッサージも楽しくワークショップができました。

覚えたてのマッサージを、おばあちゃんにしてあげた男の子がいて、

おばあちゃんいたく感動してくれていたとか^^

うれしい後日談もありました。


みんなが笑顔になるイベントになったみたいで

うれしさひとしおでした。



このイベントにかかわってくださった全ての方に、

心から感謝申し上げます

本当にありがとうございました~  続きを読む


Posted by maktub_J at 08:52Comments(2)つれづれ

2012年05月10日

母の日の前日は…

お久しぶりです。

Maktub 店主ですニコニコ


ずっとこのブログをほったらかしにしていますが、

実はこちらには、たくさん投稿しております(^^;

体験型コミュニケーションイベント『HAND ~テヲツナゴウ~』

今週の土曜日…5月12日に、キリスト教学院大の体育館で、

母の日前のイベントを開催するんです。


僕は、親子やカップルのみなさんに

日常簡単にできる、アロマハンドマッサージのワークショップ

クラニオセイクラルワーク(頭蓋仙骨療法)耳つぼリフトアップで出店。

それから、いつもお世話になっている Mamakumi さんのお店から

販売を委託されているグッズたちを販売します。


ホワイトセージのバンドル・エンジェルのフィギュア(ちっちゃくてかわいい^^)・

リキッドスマッジを取り扱っています。


Mother's Free Spirit @ ほうむ

 Mamakumiさんのお店 Mother's Free Spirit は

 アメリカ合衆国ネバダ州発のネットショップ

 ホワイトセージやリキッドスマッジなどの浄化グッズや、

 天使の小物、クリスタルなどのストーン類、インセンス

 ネイティブアメリカングッズなどなど

 魅力的なショップラブ
ですよー



…僕はイベントの主催でもあるんだけど、、、

主催者側って、やることたんまりあるんだなーがーん

相棒のハルと二人で、勉強になるな~といいながら、

ひーひーうわーんいいつつ楽しんでいますピース



このイベント、、、

本当は、僕のセラピーとハルの雑貨屋とライブちょっといれたりして、

5~6店舗ぐらいで、超こじんまりしたイベントでいっかーベーなんて

はじめたんです。



きっかけは、僕が数年前から温めていた構想をハルとのミーティングで話したこと…

夜中のマクドナルドで、別件の打ち合わせをしていた時がスタートでした。


僕があっためていた構想ってのは、、、

母の日に子供がお母さんの手をマッサージしたらいいなパーって…

学校や幼稚園のおむかえのときなんかに

手をつなぐってのはあるかもしんないけど、

あらためてお母さんの手をまじまじと見るってことは、

あんまりないと思う。


でも、いつも家事に仕事に育児に頑張ってるお母さんの手を見ながら

その手を子供の小さな手がほぐしていく、、、

一生懸命、慣れない手つきで、小さな手を精いっぱい使って…



大きくなるにつれ、お母さんの手と自分の手の大きさも近づいて

子供のころは、自分の手が小さくてマッサージしにくかったのに

今はマッサージしやすくなったなーなんて思ったり・・・


まあ、妄想かもしんないけど、定点観測をすることで、

自分や相手の変化や今を意識することができる。

これってできたら面白いよなーって思ってた。



僕自身、セラピストとして

お客様やともだちの足や頭を触っていると、

その人の人柄や生活なんかも感じたりするんです。

そうするとその人のコリとかが、

なんていうのかな、、、かわいいというか、愛すべきものと思えてくることが多い。

がんばってるよねー…なんておすまし

身体を持つ存在に生まれて、

その体と心を使って精一杯生きている、まさにその証だから。


だから、そんな想いをシェアしたいなと、思って

そんなワークショップをしたいと思ってました。

普段そばにいると、

「いるからいいや、いつでも話せるし」なんて思ってしまう身近な人に

あらためて関心を持つことができる。


昔マザーテレサは言った。

『愛の反対語は無関心』と・・・。


じゃあ、その無関心、ひとつでも関心に変えていけば、

愛と平和に近づくための小さくても大きな一歩になりはしないかと、

僕は思う。




で、それを口にして、ハルと「じゃあ、イベントやるか!」と決めて準備に入ったら…

あれよあれよと、人が集まり、、、

約30ほどのアトラクションに膨れ上がりましたびっくり!


ヒーリングはもちろんのこと、

ライブあり、フードあり、雑貨や食品の販売あり、

そしてワークショップありと、

このイベントは、みなさんのコミュニケーションのツールとして開かれます。


出店する人たちは、そのお手伝いをするために

自分が持っている表現方法で、精一杯みなさんとコミュニケートします!


だから、僕は、

このイベント、ものすごく楽しいものになるにきまってると思っていますびっくり!!


親子でもご夫婦でも

恋人同士、友達同士、もちろんひとりでも

ぜひこのイベント『HAND~テヲツナゴウ~』にご来場くださいハート



主催者・出店者一同

みなさまを心からお待ちしておりますびっくり

HANDフライヤー表 クリックでダウンロードできます 

HANDフライヤー裏面 クリックでダウンロードできます

   


Posted by maktub_J at 08:13Comments(4)お知らせ

2012年04月19日

きとねいち~!!

おひさしぶりのブログ投稿でございます。。。

やっぱり筆不精な店主・・・

以前のエントリーでコメントいただいている方も

放置になってしまいめっちゃゴメンナサイぐすん

無視しているわけではないんですが(結果的にしてるか爆発

ちゃんとお返事しますからお待ちください<(__)>




さてさて、GWも近づいておりますが、

イベントに出店する予定があるので告知させてもらいます。


まずは、GWのしょっぱな4/29です。

あのびっくり!!きとねいちに出店させていただきますニコニコ


キャンプ用のテントにベッドをしつらえ、

クラニオセイクラルワーク(頭蓋仙骨療法)の出張セッションやっちまいます。



クラニオは、頭をそーーーっと包み込み、

頭蓋骨のゆがみをゆっくりゆっくり正しい位置に戻し、

頭蓋骨の波のようなゆったりした動きを取り戻していくものです。

(頭蓋骨は複数の骨が組み合わさったユニットなのだ)


そんでもって、「仙骨」という骨盤の間の骨も調整します。

この骨は、体の土台に当たる骨で、これまたゆっくり動いていますが、

大体の方が、ゆがんで、動きが抑制されていることがほとんど。


頭を包まれてリラックス、偏頭痛・不眠や浅い眠りの解消、

思考がSTOPしてクリアになったり、集中力が向上したり、

頭蓋骨がまっすぐになって行くので、顔の左右非対称が解消したり、

免疫系のUp、地に足が着いた感覚がでたり、

腰痛の解消などなど、

効果はさまざまにありますわ。ヒミツ

中には、クラニオ後に、はいてきたズボンががばがばになり

ウエスト周りが3cmぐらいへこんじゃう人もいます。びっくり!


そんなクラニオセイクラルワークを、

ふだんよりちょっぴりお値打ちに体験価格でやっちゃいます。



クラニオセイクラルワーク in きとねいち

  20分 ¥1500   30分 ¥2500 (10分延長ごとに+¥1000)


残波公園のすがすがしい空気の中で、

クラニオ体験しにいらしてください!




きとねいちは、色んなブースが100店舗ぐらい出店するそうです。

一日だけの野外モール

さまざまなショップが、それぞれの感性で表現をする場です。

僕自身もとても楽しみにしています。



僕と一緒に、友人のエンジェルセラピストのKumi と

さすらいのデザイナーHALも出店します。


ドリーン・バーチューPhD公認のエンジェルセラピープラクティショナー Kumi が

オラクルカードを使って天使からのメッセージをあなたに伝えます。

ぜひぜひ体験ください!晴れ


そして、僕の店の看板を手がけてくれたHALは、

雑貨販売 Katariya Worksとして出店。

こちらもセンスのいい雑貨が出てくると期待していますよつば



ということで、きとねいち出店のお知らせでした~  


Posted by maktub_J at 16:56Comments(0)お知らせ

2012年03月31日

放送から一週間 ちょっとやってみよっかなとおもってること

筆不精店主でございます。

どうもどうも、久しぶりの更新ですたまピヨ

先週は、たくさんの方にドキュメンタリー番組をご覧いただいたようで、

本当にありがとうございました。


Facebookで感想をくださった方、

このブログに感想を書いてくださった方、

はたまた、25日の蚤の市会場に足を運んでくださった方などなど

重ねてお礼申し上げます<(__)>


身近に性同一性障害(GID)の当事者や「そうかも?」と思っている人がいる

…という方結構多いです。


また、興味はあるんだけど、

性同一性障害ってよくわからない…という方もいるでしょう。


番組を見て僕が思ったのは、

30分に二人を描いているので

かなり大盛りびっくり!盛りだくさんだったんだけど、

もうすこし説明が必要かな~ということ…


たとえば

身体の性別とか心の性別とかいうけど、よく意味が分かんない…とか

なんで、心を性別にあわせる治療をしないの?…とか

同性愛と何が違うの?…とか

実際、どういう治療するの?…とかとかとか


30分のドキュメンタリー番組では説明ができないことが

いっぱいあります。


…で、

このブログとは別に、

性同一性障害とは何ぞや的なブログを立ち上げてみようかと考えています。



僕は、

このブログで「性同一性障害」を語るつもりはないんですねバイバイ

これは、僕のポリシーのひとつとして揺るがないんだけど、

「服部佳樹」=「性同一性障害」ではないんです。

服部佳樹には、性同一性障害だったことは含まれていますが、

僕の人生そのもの、基軸の部分ではないわけで、

放送でも言ってるけど(言ってたっけ?)

GIDは僕という人間が生きてたり成長したりする中での

単にひとつのプロセスという位置づけなんです。


だから、僕はGIDであったことを「ウリ」にするつもりもない。パンチ!

普通の♂として生きていたい。

黙っとけば、誰しも僕を普通に男として扱うので

(言うとかえって驚かれてめんどくさいガ-ン

ホントは、わざわざ自分のことを暴露(?)する必要もない。


それでもメディアに出るという選択をしたのは、

僕が思ってた以上に

まだまだ悩んでいる当事者や周囲の人がいることを知って、

その人たちに

そんな絶望的なことじゃないよと伝えたかったり、

当事者以外で何かに悩んでいる人に

誰しも持っている人生のハードルを必要以上に大きくとらえて、

自分の可能性を押し殺さないでほしいということを

伝えたかったから。



僕をひとつの「サンプル」としてとらえて

自分の可能性を、個性を

ほじくりだすきっかけにしてもらえたら…という気持ちからでした。


だから、性同一性障害そのものを語るブログは

別にしようと思っているわけです。



ということで、常日頃の筆不精っプリも顧みず、

近々、性同一性障害基礎講座 服部編ブログを立ち上げてみようと思っていますグー



内容としては、

性同一性障害ってなに?的なことや

性別そのものについてとか、同性愛との違いとか

性同一性障害の診断が下りるまでのプロセスや治療の段階、

これまで僕が経験してきたこと、考えてきたこと、

当事者や周りの方へ僕なりのメッセージなどなどを考えています。


僕なりに当事者には思うところがたくさんあるので、

過激なメッセージがあるかもしれません。

(…おそらく「うるせぇオヤジ」だと思われるでしょうあかんべー



みなさん、いかがでしょーか?ヒミツ


ご意見や疑問に思っていること、ぜひ教えてくださいパー  


Posted by maktub_J at 19:03Comments(9)つれづれ

2012年03月23日

CARGOES 蚤の市 出店します

はいさいはいさい

お知らせです。


明日3/24(土)と3/25(日)の両日、

那覇市牧志のさいおんスクエアCARGOESにて

蚤の市(フリーマーケット)が開かれます


Maktub、出店いたします(^^)/

 24日(土) は、朝10時から夕方ごろまで


   (例の放送があるのですが、録画するから18時ぐらいまでいるかも)

 25日(日) は、昼すぎの午後1時ごろから夕方まで

 …となっています。

出店内容は、

■ 施術メニュー

 足裏オイルマッサージ ¥1,000/10分
    (延長 ¥500/5分)

 耳マッサージ  ¥700/10分

 耳つぼリフトアップ  ¥1,500~
   (ジュエリータイプは追加料金)

 耳つぼ体のお悩み相談(肩こり・首こり・眼精疲労など)  ¥500~

 耳つぼダイエット体験 ¥2,000



   足裏や耳には全身のつぼ(反射区)が集中しています。

   体の各部分の反射区を刺激すると、刺激した器官が活性化して

   体が本来持っている元気な状態に戻っていきます。

   足は第二の心臓といわれるぐらい体調に大きな影響を与えますが、

   耳にも片耳で約200のつぼ(表約150か所・裏約50か所)があります!

   耳マッサージやつぼを刺激するシールで、

   体の不調を整えることができますよ^^

   実際に、耳マッサージでの腰痛改善、

   つぼシールを使用して、ぎっくり腰や眼精疲労・首こりの改善などあります!



耳マッサージ
耳マッサージ中♪ 気持ちよくてにーぶいしてきます眠っzzz

りふれくそろじー
基本はハンド(手)でソフトな施術ですニコニコ

りふれくそろじー
痛いのが好きな方には、棒を使って反射区を刺激ベー

※画像は店内での施術風景です


■ 販売メニュー(予定)

 アロマ虫よけスプレー  ¥700


   そろそろ暖かくなってきて、虫さされが気になる時期です。ガ-ン

   天然成分だけのアロマオイルを使った虫よけスプレーで

   快適なアウトドアライフをしませんか?

   清明(しーみー)も近いので、おひとついかが?(限定販売です!)





このCARGOES蚤の市のほかに、

さいおんスクエアでは、いろいろ催し物があるようです。


読谷の物産が集まったCARGOESマルシェ

7つのシーサーを見つけてお菓子のつかみどり!宝探しゲーム「たからさがシーサー」

アートデザイナー「屋部 憲光」のアパレル企画 車いすの花嫁ドレス&ノリザールアート商品展

たぶん真ん中らへんの写真は、トミさんの娘さん のどかさんと旦那さんのつばさーの写真だラブ

蚤の市でも10店舗ぐらい出店するようです。

いろいろと楽しめそうですよ。


25日は放送後となりますので、

よろしければ番組の感想など伺えるとうれしいです。


週末は牧志方面にお立ち寄りください!  


Posted by maktub_J at 09:33Comments(1)店のこと

2012年03月12日

■お知らせ■ 3/24 ドキュメンタリー番組放送です

はいさい

僕が昨年から取材を受けていた番組が、

いよいよこの3/24(土)放送されることになりました!




30分間のドキュメンタリー番組で、

沖縄だけでなく九州一円に放送されます!びっくり!

番組名・放送予定は、以下の通り

九州沖縄地区TBS系列で放送のテレビドキュメンタリー

「ムーブ」「性同一性障害~それぞれの一歩~」


RKB 3月18日(日) 25:00
RKK  3月21日(水) 26:00
MRT  3月22日(木) 10:50
MBC  3月25日(日) 6:15
NBC  3月25日(日) 25:20
OBS  3月25日(日) 25:20
RBC  3月24日(土) 17:00



去年から性同一性障害のラジオ・TV番組の企画・取材などなどを

担当してくれている琉球放送の山本アナから

番組概要が送られてきたので、

以下に掲載します。


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九州沖縄地区TBS系列で放送のテレビドキュメンタリー

「ムーブ」「性同一性障害~それぞれの一歩~」


沖縄では3月24日(土)17時から17時半までです。

 男性でありながら体は女性。女性でありながら体は男性。

そんな心と体の性別不一致、「性同一性障害」について、

国内ではまだまだ正しい理解が進んでいないのが実情といえる。


 服部佳樹(はっとり・よしき)さん(41)は、

幼少期から「自分は男」と認識していたが、

成長とともに女性らしさを増す自分の体に

「自分は何者なのだろうか?」と悩み続けた。

30歳の時に性同一性障害と診断を受けた服部さんは

海外で性別適合手術を受け、現在はセラピストとして、

性同一性障害を抱える人だけでなく一般の人々にも

「心と体の癒し」を提供している。

 澤岻良心(たくし・りょうと)さん(30)の以前の名前は良子。

戸籍上も男性となった澤岻さんは、

28歳で最愛の女性と巡り合い結婚した。

澤岻さんは、性同一性障害への理解を広めようと

演劇の上演や講演活動を展開する一方で、

卵巣摘出前に残した 自らの卵子を使って

子どもを持つ挑戦も始めている。


 「考え方、行動次第で未来は変えられる。」

性同一性障害に悩む人たちの道標となるべく、

それぞれの方法で自らを語る2人の姿を追いながら、

当事者達の心の叫びを探る。

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山本アナのことなので、渾身の力作に仕上がっていると思います。

(山本アナが企画・取材をした性同一性障害のラジオ番組は、

 昨年、日本放送文化大賞・九州沖縄地区の最優秀賞と

 日本民間放送連盟の九州沖縄地区優秀賞を受賞しています

 詳しくはこちらへ


悩んでいる当事者や当事者らしき人たち、

当事者の周囲でどう​していいかわからない方、

いろいろいると思います。


この番組に出るのは、

僕・服部佳樹と澤岻良心(りょうと)君を中心として

沖縄でがんばってる他の当事者や家族・パートナー・友人たち。


ぜひ、元気にやってる僕らの姿を、

ひとつの参考にしてもらえたら​と思います。



僕は、道しるべというほど

大したものではないかもしれな​いけど、

なんかのきっかけぐらいにはなれるかもしれない​と思ってます。


また、性同一性障害ではなくても、

何かに悩み、出口が見えなくてどうしていいかわからない

自分のことが好きになれない、嫌い。。。なんていう人、

いろんな方がいると思います。

そんな人にも見てもらえたらと思っています。







僕は、性別という、普通だったら気にもしないところで

幼いころから違和感やつまづきを経験しました。

でも幼いだけに、「性別の違和感がある」という

自覚に乏しいので、僕は何がおかしいのかよくわからずにすごしました。


いつまでたっても自分という人間の価値に見いだせず

得体のしれない怖さに追い立てられるように過ごした時期がありました。

それが30年近く続くわけです。



『何がこんなに自分を生きづらくさせているのか?』

そう問うても、答えは見つかりませんでした。


「自分は特殊な人間で誰にも理解してもらえない」

「自分という人間は人格が劣っているからこんなに苦しいんだ」

と思って自分を責めて過ごした時期もあります。


だから、いろんなことに打ち込んでみたり、

勉強や仕事をがんばってみたり…。

何か出来る自分にならなくちゃと、必死こいて生きてきました。



でも目に見える自分の身体や固定観念などに縛られ、

心を殺すことが当たり前になっていました。

というか、感情という代物がよくわからなかった。


人が笑っているのを見て

「ああ、これが楽しいとかおかしいということなんだ」

と、頭で認識して、

「こういうときに笑えばいいんだね?」

なんて、人ごとのように分析したことも…(暗)

それも、幼いころからでした。

そんな風に、自分の中にわいてくる感情もよくわからずにいたぐらいです。




今思えば変なことだけど、

正直、

僕はこの世界に「生き残る」のに精いっぱいだった。


ただ、一つだけ心のよりどころにしてきたのは、

「人生で起こるどんなことにも『理由』がある」

という信念だけだった。



30歳で「自分て性別に違和感があったんだ」ということに気づいてから、

僕の中で何かが変わってきた。


そして大好きだった沖縄に移住してきた。

もう一度仕切りなおしだと思って、ここにやってきた。


そして、「生き残るのに精一杯」から

「自分を活かすことに精一杯」に変わっていった。

もちろん試行錯誤することに変わりはないのだけど・・・



そんなこんなで、今は、笑ったりおこったり、

自分の意見を、感情を、希望を、心からの喜びを表現することが

楽しくできるようになりました。


何か出来る自分でなくともいいと思えるようになってきたし

とっても嫌いだった自分を、この十年ぐらい掛けて好きになれた。


それには、今まで経験してきた仕事や活動、

出会った人たちのおかげもあるし、

何より、「癒す」ということに対する関心と行動が、

自分に大きな変化をもたらしたといえる。



今の僕を知っている人には

あるいは想像もつかないかもしれない。


でも、真っ暗なトンネルに、僕は自分で閉じこもっていたし、

真っ暗なりに、探って探って探って歩いた末に、

今の場所にたどり着いた。


僕にとって『性同一性障害』というのは、ほんのきっかけでしかない。

でも、それがあったからこそ自分を見つめることができたのだと

今は言える。


しかしながら、僕にとって、

『性同一性障害』は人生の中心ではない。

だれしも持っている苦しみや悩みと同じ、

ひとつのプロセスでしかないのだ。



だから、今真っ暗なトンネルの中にいる人に言いたい。



ちゃんと出られるから!

トンネルの中が暗ければ暗いだけ、

あなたを包む光はとっても眩しいんだ!

だからあきらめんな!!

自分をよく見つめるんだ!

その中に、光のもとがあるんだ!

今は暗くってどうしようもないかもしんないけど

小さくとも光にたどり着けるはずだ!!

だから逃げんな!!

トンネルは通り抜けるためにあるんだ!





僕の人生は、僕のメッセージでもあります。



こんな僕の人生の一部を、

TVで流してもらうのは、正直くすぐったいではあるけれど、

もし友達や近しい人で

何かに迷い、苦しんでいる人がいたら、

真っ暗な長いトンネルからはい出てきた

変なおじさんがいるから見てごらんと伝えてもらえたらと思います。



はは、また長くなっちまっただね・・・(^^;

読んでくれてありがとう<(__)>  


Posted by maktub_J at 22:01Comments(10)お知らせ

2012年03月11日

最近よくある誤解 その2

誤解シリーズその2

今回は軽めです。

でもネタは『性同一性障害』がらみ



いわゆる『性同一性障害』カテの人間やってると…

まあ、たとえば

僕の場合だと、女性のフリしてた(?)時代があって、

今は男性に戻っているので、

「両方の性別の気持ちがわかるんでしょー?」

などと言われたりする。



いやいや、

女性の気持なんぞ、ちいいいいいいっともわかりません!!(力説)

僕、ご幼少のみぎりから、

ずっとずっと女子には振り回されてまいりましたっ!ニコニコ汗


理解できるのだったら、

きっと僕、そのまま女子やってたと思いましゅ~!ベー


ま、わかんないからこそ、

理解したいと思ってコミュニケーションをとるんですよ


そんなもんでしょ?晴れ



それでも、オンナゴコロ、、、わかんないけど…orz  


Posted by maktub_J at 21:35Comments(2)つれづれ

2012年03月11日

最近よくある誤解 その1

僕は、世に言う

『性同一性障害』というカテゴリーに分類される人だ(他人ごと?www)。



『障害』と書かれていると

「病気」っぽく哀れさを感じる人もいるだろうが、

僕自身も、僕の周りの当事者の大半も

「病気」とは思っていない。


現在のところ国際的にも疾病の基準とかを決めている

WHOのICD(だったかな・・・)にも

アメリカ精神医学会のDMSという基準にも

「Gener Identity Disorder」と謳われ

「病気・疾病」という意味の「disorder」が使われているが、

近い将来、「性同一性障害」から「性別違和」という名称に変わるといううわさが出ている。



おっと、話がそれてしまった。

誤解の話に戻しましょう。



一応元々は女子の体してましたが、

ホルモン投与で声変わりや体格の変化が出て、

ひげが生えたり、きーまー(下半身あたりが特にwww)になったり、

手術も終え、戸籍の性別も変更されて、

どっからみても押しも押されぬ

「わらばーじらー(爆)」のおっさんとして生きているあちき、、、


初対面の方に自己紹介する時、

自分のプロフィールのひとつとして

「性同一性障害の当事者で…」なんぞということがある。


特に触れなくてもいいことだから普段は言わない。


ただ、ご一緒しているメンツやシチュエーションによりけりなんだけど…

TVやラジオなんぞにも出してもらっているので、

「とりあえず言っとく」的なことがあるわけ。




そうするとですね、、、

最近は、初対面の大半の方がですね、

僕のことを

「元々男性の身体をしているけど、

 女性の心を持っていて、治療して身体も女性に戻りたい人」

…だと思われるようだ…(^^;


違いますから!!

逆ですから!!!

あとから誤解を解くのに一苦労する。 orz



ということで、

これからもし『性同一性障害』がらみの自己紹介をするときは、

「かつて『性同一性障害』だった服部です」

…と「過去形」でいうことに決めました。



だーって、めんどくさいんだもんーーーーーヒミツ


でも、昔のわけのわかんないもどかしさから比べたら

幸せなことだよね。


それに、この違和感が解消されてるから、

むしろあまり性別って、あまり関係ないんだと思えるようになった。

違和感のない人たちが、自分の性別を意識することが少ないように、

僕も治療過程のある時期から、

性別を意識することが少なくなっていた。



安定感と自信

それは、

自分の性別からくる違和感を認めて、

元々脳が認識している性別(男性)で生活をするうちについてきた。


もちろん葛藤もあったし、恐れもあった。

逃げたいときも、苦しい時もありで

なにもかもトントン拍子に進んだわけではないけど

そのたびに自分への問いかけをやめずにやってきたことが

今につながっている。

もちろんたくさんの人たちにも助けてもらった。

ありがたいことである。



つらくったっていいし、苦しくたっていいし、

泣きべそかいたって、腹たって暴れたくなったっていい。


そんな自分でいいじゃないか。


小さい山、大きい山越えながら、

今を生きればいいと思う。


越えてみたら、結構いい風景が見えていたり、

必死で歩んだ自分を認められるようになってくる。


ネガティブな自分を否定しないでほしい。

実はそこに、

自分にとってのギフトが用意されているものなのだ。




別に性同一性障害に限ったことではない。

みんなにそれぞれ、自分のテーマ…である。


  


Posted by maktub_J at 18:06Comments(4)つれづれ

2012年03月09日

風の人

三線と島太鼓のデュオ「ケントミ」のトーミーこと比嘉富子さんが、

3月8日の午前1時20分に逝去された。



僕と「ケントミ」さんとのお付き合いは、去年の10月ぐらいから…

ほんの4~5カ月ぐらいしかたっていないのに、

とても親しくさせていただいている。

とっても懐の広いケントミファミリーである。



トミさんとは、おたがいTVで見ていたせいか、

初対面とは思えず、最初から割とたのしく話をさせてもらったし、

入院する前だったか、

手術をした後のお互い「おっぱい」の見せあいもした(笑)



年末の入院以来、

レイキヒーリングをさせてもらっていたこともあり、

二人だけの深夜の病室でいろいろと突っ込んだ話もしたものだ。

レイキをすると痛みが和らいだり、

怖くて眠れないときでもレイキの後は眠りにつけたりと、

トミさんはレイキヒーリングを気に入ってくれていたのだ。

「よしきぃ、レイキお願い」と

いつもレイキヒーリングを望んでくれていた。





↑ トミさんと…去年の11月。
まだ暑い日だった。少女のようにはしゃぐトミさんとのツーショット
ぼくはおなかが…(^^; トミさんの倍の幅?





トミさんというひとは、チャーミングな人で、

そしていつも心も体も動き回っている。

いうなれば『風』の印象がある。


末期ガンという一見ハンデに思われることをものともせず、

ステージでは元気な風を巻き起こし、人々に勇気を与える。


普段の生活においては、相手のことを気遣い思いやり、

温かな風でその頬をなでる。

この温かい風に包まれて癒された人々がたくさんいる。


ユーモラスな一面もあり、

愉快な風を起こしては、まわりを和ませてもいた。

次世代の喜劇の女王になってほしいと思えるぐらい(笑)


そして時に、自らの感じたことを率直に伝える凛とした風にもなる。

でもその風には愛がこもっていて、

受けた人は自分の中にある勇気や愛の風を強める。


僕は、そんなトミさんを見て

「やっぱり、人間て、ただ身体の存在じゃないんだな」

とつくづく思わされたものだ。



ただ、自分にはとても厳しい風を吹かせていた。

自らを奮い立たせ、

前を向くために、自らを叱咤していた。

みんなの中の風を思い出させるために、

彼女はもっともっと強くなるように自らを見つめ、育てていた。



そんな人だから、彼女の周りに集まる人は多い。

8日の病院はたくさんの人が集まって、今度はトミさんを応援ようと詰めかけてた。



僕は7日にもお邪魔して、トミさんに会い、

レイキもさせていただいた。



まだまだ生きるぞという気力があり、

病室に流しているケントミの楽曲や

みんなからの言葉に反応したり、意思表示もしていた。

そんなトミさんをみて、その日、僕は病院を後にした。



ところが、8日には、トミさんが危篤だと、

ふくさんから連絡が入ったのだ。


とるものもとりあえず病院へ…。


23時過ぎに到着したのだが、

浅い呼吸をつづけながら、トミさんの風は止まっていなかった。

すでに20時ごろに2回ほど呼吸が止まったことがあったと聞いた。

でも、まだトミさんは頑張っていた。



自宅療養の一時期、周囲のみんなのムードが沈滞した時に、

トミさん自らが皆に発破をかけたことがあると聞いた。

「和して天定まる」

みんなで心を一つにして!とトミさんは訴えたそうだ。

トミさんは、生きる覚悟をみんなに見せつけたようだ。


おそらく、みんなが本気になって一つのことに向きあうことを

和を重んじる彼女は望んでいたに違いない。



病室で、しばし、トミさんの手に触れ、彼女を見つめ、

心の中でエールを送り、

僕はいったん病室を出た。


みんなと話をしたり、レイキを送ったり…

そしてそのまま時間が過ぎていった。



そのときだった、誰かの声がして、

「もう、息が…」



トミさんは、肉体を離れた。

本当に風になって自由になったのだ。



風の人、

いつもあなたの風が、

たくさんの人の中にある風を呼び起こして、

それを集めて大きな風にした

あなたは

たくさんの奇跡を体現した優しい風だった


その風からもらった愛を胸にして

今はたくさんのひとたちが涙雨にぬれている


だけど、風の人

もう少し待っててほしい…


涙の雨が弱まってきたら、

あなたの柔らかい風が、

いつもみんなの頬をなでていることに気づくからさ


そして、

今は神の懐にあるあなた自身にも

柔らかくあったかい風がいつも吹いていることを

僕は祈ります。


トミさん、本当にありがとう。

おつかれさま!!


  


Posted by maktub_J at 09:27Comments(4)日記

2012年03月07日

トライアンドエラーでいいじゃん(笑)

折々に、自分の中でリフレインする言葉がある。

ふと、何の脈絡もなく湧いて出てくるように

それらの言葉が思い浮かぶ・・・。


おそらくそれらは自分の今のテーマに即したものなんだろう。

一定期間、その言葉は心の中に響きながら、

そのためのレッスンとなるシチュエーションがやってきている気がする。




このごろのヘビーローテーションは、

「その人の内に神を見なさい」

というものである。

何かにつけ囁かれるのだ。



僕の感覚としては、単に「人」だけではなく、

起こっている「事」に対しても、等しくそう言える気がしている。

最近は特に…



とかく、人というのは物事を善悪や正しい正しくないで判断しがちだし、

それも自分の立場だけで、その基準に頼る。

いわゆるひとつの価値とか、ヨノナカ的な見解が基準となる。


そういうのって、時代背景や国柄、文化、習慣なんてものに

むっちゃくちゃ左右されるものだ。


で、その揺らぎまくる価値判断に乗っかった上で、

「よい(正しい・正しそうな・好ましい)」事が起こると、

ぼくらはほいほいとその誘いに乗り、

「悪い(間違った・正しくなさそうな・好ましくない)」事が起こると、

これは違うと目をふさぎたがるものだ。


もちろん、人についても同じである。

つまるところ、人間って

自分の都合やその時の状況で判断すんだよね。



で、、、だな、

人間やってる以上、

「これはいい」「これはよくない」なんてことを判断するのは当たり前なんだけど

それでもなお、その判断を下す前(あるいは下しちゃっても)に

「その内に神を見」させようと、

僕の内にある何かが囁く。


起きることや人との出会いかかわりには、必ず理由があるとよく言われる。

かといって、、、

壮大かつ緻密な神の計画がなされるその理由や思惑なんぞ、

わしら人間が知らなくたってかまわない



起きることどもを抵抗なく受け入れることができ、

自分がスカッとする選択ができれば

その人生の宿題はクリアしていく。


でもなかなかそうはいかず、

今の状況や自分の気分にとって好ましくない事が起きると、

僕らは抵抗を示し、

創造性のない選択をしてしまう。

「恐れ」に満ちた選択だ。



もし、そんな選択をしてしまったとしてもなお、

一連をもういちど、そのうちにある神を見るようにする。


すぐに答えが見つからなくとも、

そのことを、人を、赦せるよう

恐れに満ちた判断をした自分を、赦せるようにと祈り、

あとは通常営業する。


すると、ちょっとした種明かしをしてくれたり、

その時は嫌だったけど、今はもう大丈夫!になっている。



起きることには理由があるし

出会う人・かかわる人にも理由がある。


地球という舞台装置のなかで繰り広げられる

何万・何億…それ以上のドラマには

その内に各人のテーマが埋め込まれている。


全部がわかんなくたっていい

そのテーマの片鱗だっていい

小さなかけらでも拾えたら、

それは大きなめっけもんだと思うんだな。  続きを読む


Posted by maktub_J at 10:46Comments(2)つれづれ